不登校のおうちじかん

学校へ行かないことを選択したこどもと暮らす

常識を疑う


精神科YouTuber益田先生が言っていたのですが、
受診される方たちが、
人間の尊厳について知らないことが多い、
とのことでした。
患者さんたちに、それを教えると言われていました。

これって、
ありのままで、命として価値がある(絶対価値)。
の、真逆で、
誰かと比較して、お金を稼げる人が偉い(相対価値)が
世の中の価値観で、常識になっているのだと思います。
自分には価値がないと思ってしまうのだろうと思う。

そうやって、育てられて、刷り込まれてきた。

それって、幸せなのか?

本当にそうなのか??

と、疑ってみると、
世界の見え方が変わってきました。
ぐんと、明るく。

(メンタルモデルの著者、由佐美加子さんの影響です。大好き。)

世の一般常識も、
学校の一般常識も同じ、相対価値に基づいているので、
すぐに不安になる。
揺りもどされる。

そちら側に適応できないと生きていけない気持ちになって、
将来を不安に思う。

そうすると、大多数の人に合うように、
自分を調整して、鎧を着て、
子どもを調整して、鎧を着せたくなる。

でも、
そっち側に行きたいんだっけ?

と、自問したい。

息苦しい方で、擬態するように生きたいんだっけ?

と、自問したい。

そっちで息苦しいのは、もう経験済みだ。
変わりたいから、もがいてるんでしょ。

不登校経験者で支援者の方が、
強みを生かして生きてる方たちの、ケースを真似するんじゃなくて
その構造を理解するのがいい。
と、言っていました。

今ならわかる。
どうやって、生きていくかの、戦略を練るのは大事だと思う。

擬態するように生きるのではなく、
ありのままで、
この世界と融合したい。

自分の体験したいこと、
子どもの体験したいことを
体験する人生でありたい。

一般常識とはかけ離れてるから
たびたび不安になるけれども、
多様性について考えている人たちは、
もう気づいてると思う。

気づいてる人から変わっていく。

動き出してる人たちはいる。

希望はある。

 

幸せであること


youtu.be

時々お見かけする本田先生、
この動画の市民講座が、発達障害についてよくまとまっていて、抜群に良かったのでご紹介します。
同シリーズで思春期編も大変よく、今後成人編もあるので、楽しみにしています。

本田先生が、発達障害の子たちにとって、息をしているだけで過剰適応だと思っていい、と言っておられました。
学校は、大多数である定型の子たちに合わせて作ってあるので、
配慮がなければ過ごしにくいのだそうです。

それなら、発達障害の周辺の子(グレーゾーン、非定型)や、
感受性の過敏な子たちにとってもしんどいはずですね。
一斉授業の限界だと思いました。

発達障害の子を取り出して、支援級を作って、、じゃなくて。
みんな一緒に、誰もが息苦しくない形でやるなら、
今の学校制度は、もう限界ですよね。

そりゃ、子ども、行けなくなるわ。
行かなくなるわ。

ここ最近、いわゆるフツウに戻したい気持ちになっていました。
やっぱり、
世の中がこんななんだから、
この社会に適応できるように育てた方がいいのか??と
思ったりしたけれど。

この社会の大人たちが幸せか??

価値がなければ認めてもらえない。
競争と比較で価値づけられ、
子どもたちにもそれを求めている。
競い合って、下は嫌だろうと脅されて。
勝ち組に、負け組。

幸せか?

ありのままの絶対価値で、
生きてるだけで素晴らしくて、
お互いに認め合える世の中の方が
居心地よくて幸せじゃない?

というところに、戻ってきました。

その間、精神科YouTuber益田先生の動画を見ていて
今の若い人たちの苦悩もわかりました。

今の社会、もう、過渡期なんだろうと思う。

もう、無理だよ。
って、若い人が悲鳴を上げているように思う。

子どもが大人になるころは、
あと5-10年。

心ある経営者が増えていますように。
心ある大人が増えていますように。

幸せな大人が増えていますように。

私も、子どもも、
幸せであることを第一に、人と比べずに、
居ようと思います。

そして、将来のために今を我慢するのではなくて、
今楽しくて仕方ないことを、
今やりたいだけやって
今幸せであること。

それが強みを育てていくことのように思います。

肝に銘じておきたいこと。不登校の親、私の場合。


私が揺れる

我が家には不登校の小学生と中学生がいます。
はじめの子どもの完全不登校から1年3ヶ月が経ちました。

自分がしんどいな、と思う状況は近寄らないようにしているので、
学校に行っている子の母たちとは話す機会がなくなりました。

それで最近気づいたのは、
他の不登校の親さんの様子を聞いて、自分が揺れるということ。

塾に行き始めたとか、
フリースクールに行ってるとか、
勉強するようになったとか。

少し前までは、子どもたちが家で休息するのが大事な時期だと思っていたので、そういう話を聞くと、いずれそんなこともあるといいなと希望に思えていた。

たぶん、子どもたちが、元気になってきたから、
思うことなのでしょう。

不登校のはじまりから時間が経ち、
少しずつ、でも確実に子どもたちが変化していることを感じています。
前よりご飯を食べ、表情が明るく、家での動きが大きくなってきた。
うれしい。

そして、、、
期待してしまうんでしょうね~。
どういう風に動いていくのか、、、
って、期待してるんでしょうね~。

子どもの意思に沿って

私が入っているオンライン不登校の親の会は、
「子どもが自分で決めること」
を大事にしているので、
親はそれについていく形です。

私が、他の子たちが動いていく様子を見て、
いいな~。
うちの子も、あの道を行ってくれたらいいな~。
って、思う。
だいたいは、
勉強するとか、学校行くとか、そういうやつに、私が反応する。

そういうときは、

私、勉強してほしいっていう思いがあるんだなあ~。
私、行けるものなら学校に行ってほしいっていう思いがあるんだな~。
と、
自分の気持ちを受け止めよう。

そりゃそう思うよね~。
って、
自分に同意しよう。

そして、子どもには、何も言わない。
雑音になるから。
子どもの邪魔はしたくないから。
動き出すのが遅くなるようなことしたくないから。

その親さんは、自分の子どもの意思に沿って行動してる。
私の子の望みと、その子の望みは違う。

それに、いい悪いもない。

もう通ってきた。
もう、そこはさんざん泣いた。

行けるものなら行ってほしいを乗り越えて、
今があるんだ。

高校を見据えて

学校に行ってないとき、高校をどうするか?
これがいつも頭をよぎる。

中学生の子とは、通信制高校に行こうと話している。
普段の会話から、彼が、自分の人生についてよく考えていることを知っているし、
どうやって生きていこうかと自分で考えているようなので、あまり心配していない。
子どもは、YouTubeツイッターで情報収集した結果、
日本を出ていく方向で考えているらしい。
おもしろいなあ~。と思って見ています。

一方、小学生の子について、
私が不安になってしまう。

あまり世間を知らないままに不登校になってしまって、
高校どうするか?とかいう話も分かっていないだろう。
そんな話したって、わからないだろうし、
無駄にエネルギーを奪う気がして言わないでいる。
不登校になる直前には言った気もする。うん、言ったな。)

だけど。
現状、元気になっていく子どもを見て、
この方向が間違っていないことはわかっている。

もしかしたら、
勉強しようかな、と言い出す日が来るかもしれない。

来ないかもしれない。

不安になる。
それは、しかたない。
揺れる。
しかたない。

それを、子どもにぶつけずに。

今を大事に。

今、今、今。

一年後がどうなってるかなんて
ほんとわからない。

大事なことは、
高校に行くことじゃない。

高校は手段であって、目的ではない。

その先、どうやって、生きていくのか。

子どもがどうやって生きていきたいのか。

この世界を嫌いにならないように、
出来るだけ好きでいてくれて、

自分の好きをつなげていった先に。

自分への自信とともに、
生きていく。

今は、その土台作り真っ最中。

明るい表情で、好きなことして過ごしているのが大事。

今の連続だ。

肝に銘じよう。

サンタでいる幸せ


小学生の次男が、
「サンタって親なんでしょ。」
「何人かのYouTuberが言ってたよ。」
と言ってきました。

去年のクリスマスに、仲の良いお友達にも
「サンタは親だよ。」って言われていて、
そうかな?と思っていたのでしょう。

「信じていないとサンタさん来ないよ。」

なんて言ってみても効果なしで、
プレゼントもらっても、しらーっとしていた。

それなら、
いっそ、
「お父さんとお母さんからだよ。」
って言ってプレゼント渡した方が
お互いにスッキリとして
喜べたんじゃないかと思ったクリスマス。

だけど、やっぱりそれも寂しくて。

長男はもう中学生で、
ほんとのこと知ってるし。

さいころ
「サンタさんがきたー!!」
と喜んでいたキラキラの笑顔が懐かしい。

子どもに見つからないようにプレゼント用意したり、
夜中にプレゼントを準備したり、
子どもと一緒に寝落ちしたり、
サンタにまつわることも幸せだったんだなあ。

さびしい。

来年は、我が家に
もうサンタは来ないかもね。

今まで、

サンタでいさせてくれて

ありがとう。

親は正解を教えるものだと思ってた


中学生の子どもが不登校になった時、
「レールから外れてしまった」
という感覚になり、焦りました。

塾へ行かせて、勉強させて、いい高校に入って、
いい大学に入って、よいお給料のところへ就職する。
それが一般的なレールで、子どもが幸せになるための道だと思っていた。

だから、
子どもの体調不良を何とかして、はやく学校に戻さなければ。
勉強が遅れてしまう。
授業についていけなくなる。
困るのは本人だ、、、。

と、不安になりました。

子どもは世間を知らないから、
親や教師が正解に導いていかなければ。
効率よくそのルートを登りつめる方法は、
これをやって、あれをやって、そうしてこうして、、、
と、思っていた。

今思えば、
一生懸命だったけれど、
悪気はなかったけれど、

視野が狭かったなあ~。
大事なことが、抜け落ちてるよな~。
と、思います。

いったん、いわゆるレールから外れてみて思うことは、

自由!!!

ですね。

自立までのルートは無数にある。
人それぞれに好きなものがあって、得意なものがあって、
強みがある。
その強みを伸ばして、
好きをつないで生きていく方がわくわくする。
何を選んでいくんだろう?って楽しみがある。

子どもたちがうらやましくもある。

私自身は、レールから外れる勇気も持ち合わせていなかった。
時代も違ったけど。

もちろん先が見えない不安はあるけれど、
自分の人生に責任を持つという意味では、
子どもが、今の状況を自分で選択したんだと思う。

この状況を選ぶのは、すごく勇気のいることだ。

なぜ学校にいるままで、
強みをいかして伸ばしていくことが
かなわなかったのか?
そこについては
学校という環境に言いたいことは山ほどあるけど、
子どもが小中学生時代を過ぎるまでに、
学校が変化することを求めても難しい気がする。

それなら。
彼らが動き出したときに、
彼らが息苦しくないところで、
彼ら自身を伸ばせる場所をみつけたい。

終身雇用からスキル重視へ、就職の在り方も変化している世の中。
情報の数が膨大な中、
親の私世代の感覚で、子どもの将来を考えても、わからない。
きっと、子どもが自分の感覚を頼りに、
未来をたぐりよせていく方が、いいと思っています。

どんな花が咲くのか楽しみだな~と思って
一緒に過ごせたらいいな~。

子どもが不登校になって、私が学んだことは、
「親に、正解を教えることはできない」
ですね。

NHKクローズアップ現代「母親の後悔」反響の向こうに何が、を観ました。

2022年12月13日(火)放送 (期間限定NHKプラスで配信中)

www.nhk.or.jp

『母親になって後悔してる』というドキッとするタイトルの本が大きな反響を呼んでいます。イスラエルの学者が母親たちをインタビューしたもので「子どもは愛しているが、母になって後悔してる」という複雑な思いに共感が集まっています。

NHKクローズアップ現代公式HPより

この特集で、作家の湊かなえさんのインタビューが放送され、内容がとても共感できました。

www.nhk.jp

番組の中で、

様々な母たちの声が紹介されたのですが、

 

自分とは立場の違う母たちも、葛藤しながら生きているんだなあ。

と思いました。

 

母が背負うものが 大きくて ときに 追い詰められる。

 

その気持ちわかるなあ、と思って観ました。

 

湊かなえさんが仰っているように、

子どもが生まれた瞬間から、母である完成形を求められるのは違うし、

子育てを、母だけが背負い込むような今の日本の構造はおかしい。

それじゃあ、母たちは孤独な中、精神的に追い詰められていく。

 

子どもが幼稚園や学校に行けば、また新たなフェーズを迎え、母の方も新たな体験だし、

思春期になれば、また違う体験がやってくる。

母だって、初めて尽くし。

高い要求をされても、応えられなくて当然なのに、

うまくやることを求められている雰囲気を感じてしまう。

 

 

番組の中でひとりの母が、

「母親はつらい。重くて苦しいから、その役割を辞めました。子どものファンになることにしました。」

と、涙を流して話されていました。

そのお子さんも「(お母さんが)ファンで居てくれる方が居心地がいい。」と言われていた。

 

「子どものファンでいる。」

 

それ、すごく理解できる。

 

 

うちの場合は、我が子が不登校になり、

子どもが、自分で自分の未来を切り開いていくことになった。

 

私は、子どもの後ろをついていくことに決めました。

 

子どもが自分の行き先を決める。

親は、それを応援する。
親は子どもの応援団であり、ファンでありたい。
何かサポートできることがあったら、いつでも手を差し伸べられる準備をして。
そばにいるよ。
応援してるよ。
何かあったら、いつでも言ってね。

そんな関係でいたいと思っています。

番組を見ながら、
子どもが不登校になった時、母たちが追い詰められた気分になる背景は、
そこに社会課題があるからなんだ。と、思いました。

不登校の親の会。リアルで人としゃべること。


人とつながりたい

我が家には、小学生と中学生の不登校男子がいます。
私が不登校の親のサークルに入って1年が経ち、
これまで、オンラインでいろんな気持ちを書き込んだり、
ZOOMで顔を見て会話してきました。
一度はオフ会にも参加して、片道2時間かけて会いに出かけたこともあります。
サークルはとても居心地がよく、私にとって大切な場所になっています。

子どものことで右往左往していた時期と比べると
私の心の状態もずいぶんとよくなりまして、

人とつながりたい。
ネットでも、リアルでも、もっといろんな人と話してみたい。

と、思うようになりました。

リアル親の会へ行ってきた

わりと近くで、不登校の親の会があることは知っていたのですが、
ホームページでは詳しい考え方まではわからず、二の足を踏んでいました。
自分が思っている方向と、出来るだけ近い方たちとお話してみたかった。

自分の地域に、リアルな居場所が欲しいと思っていたところで、
「明るい感じだよ~。一緒に行きませんか?」
と、声をかけてもらって、
今日は、はじめての場所での、親の会へ行ってきました。

感想

いいですね~。
リアル。
いい~。

ネットもいいけど、リアルもいい~。

同じ空間で、同じ時を過ごして、
暑い寒いを感じたり、
お茶を飲んだり。

存在を感じる。
リアルって、こういうことだよね~。

って、思いました。

不登校の親って、周りと話題も違ってくるし、
ちょっと子どもの話を道端で話す、みたいなことができなくなるんですよね。
いわゆる子育ての王道みたいなこととは違うことしてるから、
理解や共感も得にくいので、そもそもまわりと話したいと思えなくて。

不登校の親っていっても、
年齢も性別も不登校になった原因もそれぞれだから、違いはあるんだけど、
抱えてる共通の悩みとか、不安とか、葛藤とかは共有できる。
共感してもらえると、うれしいし、安心する。

今日はそういう時間を過ごせたので、とても満足です。

みんな、自分の場所でがんばってる。
それをリアルで感じられて、ほっこりしました。

ただ、私は、いわゆる繊細さんなので、
とっても疲れました(笑)
はじめての場所、はじめての人、はじめての団体。
あー、疲れた(笑)

だけど、
行ってよかったです。
新たな気づきと視点もいただきました。
対話、大事ですね。

次回はランチ会まで参加しようかな~。