不登校のおうちじかん

学校へ行かないことを選択したこどもと暮らす

親は正解を教えるものだと思ってた


中学生の子どもが不登校になった時、
「レールから外れてしまった」
という感覚になり、焦りました。

塾へ行かせて、勉強させて、いい高校に入って、
いい大学に入って、よいお給料のところへ就職する。
それが一般的なレールで、子どもが幸せになるための道だと思っていた。

だから、
子どもの体調不良を何とかして、はやく学校に戻さなければ。
勉強が遅れてしまう。
授業についていけなくなる。
困るのは本人だ、、、。

と、不安になりました。

子どもは世間を知らないから、
親や教師が正解に導いていかなければ。
効率よくそのルートを登りつめる方法は、
これをやって、あれをやって、そうしてこうして、、、
と、思っていた。

今思えば、
一生懸命だったけれど、
悪気はなかったけれど、

視野が狭かったなあ~。
大事なことが、抜け落ちてるよな~。
と、思います。

いったん、いわゆるレールから外れてみて思うことは、

自由!!!

ですね。

自立までのルートは無数にある。
人それぞれに好きなものがあって、得意なものがあって、
強みがある。
その強みを伸ばして、
好きをつないで生きていく方がわくわくする。
何を選んでいくんだろう?って楽しみがある。

子どもたちがうらやましくもある。

私自身は、レールから外れる勇気も持ち合わせていなかった。
時代も違ったけど。

もちろん先が見えない不安はあるけれど、
自分の人生に責任を持つという意味では、
子どもが、今の状況を自分で選択したんだと思う。

この状況を選ぶのは、すごく勇気のいることだ。

なぜ学校にいるままで、
強みをいかして伸ばしていくことが
かなわなかったのか?
そこについては
学校という環境に言いたいことは山ほどあるけど、
子どもが小中学生時代を過ぎるまでに、
学校が変化することを求めても難しい気がする。

それなら。
彼らが動き出したときに、
彼らが息苦しくないところで、
彼ら自身を伸ばせる場所をみつけたい。

終身雇用からスキル重視へ、就職の在り方も変化している世の中。
情報の数が膨大な中、
親の私世代の感覚で、子どもの将来を考えても、わからない。
きっと、子どもが自分の感覚を頼りに、
未来をたぐりよせていく方が、いいと思っています。

どんな花が咲くのか楽しみだな~と思って
一緒に過ごせたらいいな~。

子どもが不登校になって、私が学んだことは、
「親に、正解を教えることはできない」
ですね。