不登校のおうちじかん

学校へ行かないことを選択したこどもと暮らす

肝に銘じておきたいこと。不登校の親、私の場合。


私が揺れる

我が家には不登校の小学生と中学生がいます。
はじめの子どもの完全不登校から1年3ヶ月が経ちました。

自分がしんどいな、と思う状況は近寄らないようにしているので、
学校に行っている子の母たちとは話す機会がなくなりました。

それで最近気づいたのは、
他の不登校の親さんの様子を聞いて、自分が揺れるということ。

塾に行き始めたとか、
フリースクールに行ってるとか、
勉強するようになったとか。

少し前までは、子どもたちが家で休息するのが大事な時期だと思っていたので、そういう話を聞くと、いずれそんなこともあるといいなと希望に思えていた。

たぶん、子どもたちが、元気になってきたから、
思うことなのでしょう。

不登校のはじまりから時間が経ち、
少しずつ、でも確実に子どもたちが変化していることを感じています。
前よりご飯を食べ、表情が明るく、家での動きが大きくなってきた。
うれしい。

そして、、、
期待してしまうんでしょうね~。
どういう風に動いていくのか、、、
って、期待してるんでしょうね~。

子どもの意思に沿って

私が入っているオンライン不登校の親の会は、
「子どもが自分で決めること」
を大事にしているので、
親はそれについていく形です。

私が、他の子たちが動いていく様子を見て、
いいな~。
うちの子も、あの道を行ってくれたらいいな~。
って、思う。
だいたいは、
勉強するとか、学校行くとか、そういうやつに、私が反応する。

そういうときは、

私、勉強してほしいっていう思いがあるんだなあ~。
私、行けるものなら学校に行ってほしいっていう思いがあるんだな~。
と、
自分の気持ちを受け止めよう。

そりゃそう思うよね~。
って、
自分に同意しよう。

そして、子どもには、何も言わない。
雑音になるから。
子どもの邪魔はしたくないから。
動き出すのが遅くなるようなことしたくないから。

その親さんは、自分の子どもの意思に沿って行動してる。
私の子の望みと、その子の望みは違う。

それに、いい悪いもない。

もう通ってきた。
もう、そこはさんざん泣いた。

行けるものなら行ってほしいを乗り越えて、
今があるんだ。

高校を見据えて

学校に行ってないとき、高校をどうするか?
これがいつも頭をよぎる。

中学生の子とは、通信制高校に行こうと話している。
普段の会話から、彼が、自分の人生についてよく考えていることを知っているし、
どうやって生きていこうかと自分で考えているようなので、あまり心配していない。
子どもは、YouTubeツイッターで情報収集した結果、
日本を出ていく方向で考えているらしい。
おもしろいなあ~。と思って見ています。

一方、小学生の子について、
私が不安になってしまう。

あまり世間を知らないままに不登校になってしまって、
高校どうするか?とかいう話も分かっていないだろう。
そんな話したって、わからないだろうし、
無駄にエネルギーを奪う気がして言わないでいる。
不登校になる直前には言った気もする。うん、言ったな。)

だけど。
現状、元気になっていく子どもを見て、
この方向が間違っていないことはわかっている。

もしかしたら、
勉強しようかな、と言い出す日が来るかもしれない。

来ないかもしれない。

不安になる。
それは、しかたない。
揺れる。
しかたない。

それを、子どもにぶつけずに。

今を大事に。

今、今、今。

一年後がどうなってるかなんて
ほんとわからない。

大事なことは、
高校に行くことじゃない。

高校は手段であって、目的ではない。

その先、どうやって、生きていくのか。

子どもがどうやって生きていきたいのか。

この世界を嫌いにならないように、
出来るだけ好きでいてくれて、

自分の好きをつなげていった先に。

自分への自信とともに、
生きていく。

今は、その土台作り真っ最中。

明るい表情で、好きなことして過ごしているのが大事。

今の連続だ。

肝に銘じよう。